県広報コンクールの開催
応募作品全体をみると、やはり素材のインパクトが感動の決定要素として大きいと思いました。 例えば、町を襲った災害を題材にした小山町の広報誌は最も胸を打ちました。写真とデータが語りかけるものは大きく、町の経験を後世に残そうという担当者の意志が感じられました。文章が少なかったため、「文章」の点数は高くはつけられませんでしたが、翌月号以降で災害の教訓、災害時の被災者の動き、災害後にみえてきた課題などを冷静にまとめていただければ、編集担当者の技量がさらに磨かれるとともに、活字媒体である広報誌の持つ記録性という長所が生かされますし、町民の方々からの評価も高まるでしょう。 鈴木長吉という実在の人物を掘り起こそうとした河津町の試みも評価できます。この人物がどんな業績を残したのかが具体的に描かれていなかったのが気になりましたが、歴史に埋もれた人に光を当てるのに町の広報誌を活用しようという編集担当者の心意気には好感を覚えました。日本国中のどんな町にでも思わぬ偉人が隠れているかもしれません。そんなふうに考えると、愉快になってきます。 子育て、地震対策、防犯という日常生活的なテーマを取り上げた広報誌もありました。テーマは平凡といえば平凡ですが、それをどう料理するかで味わいが異なってきます。「なぜ今このテーマなのか」をしっかり踏まえたうえで、切り口、読みやすさに工夫をこらしていただければ、広報誌の質がさらに高まるのではないでしょうか。 このコンクールの審査委員をして3年になるが、毎回各町広報紙のレベルがアップしてきている。 文がダラダラと読みにくく、やたら敬語を使っていた内容が、町民にこびないしっかりと主張をもった内容に変わってきている。 写真は、何を言いたくて使ったのかわからないとか、トリミングをした方がいいとか、さんざん言いたい放題を言ってきたが、今回は「う〜ん」というようないい写真が多かった(中には、かわり映えしない写真もあるにはあった)。ただ、表紙の写真に関しては、もっとていねいに扱った方がいい。子どもの顔を持ってくるところが多い。見る方もニコッとしたくなるのが子どもの顔だが、いつも、いつもとなると「え〜、またか」と拒否反応も出てくる。時代性・季節感・話題性といったことをまず優先させたほうがいいように思う。 また、安易な方向に流れないほうがいい。その点小山町は、10・11月と続けて災害の様子を表紙に持ってきて、町民に現状を伝える努力をしている。一番関心のあるものに焦点を当てるのが、やはり広報紙の役目であると思う。 絶えず目線を町民と同じにし、「上からもの申す」式の広報紙作りはやめにすべきだ。主役はあなた方ではない。「町民」である。 町が抱えている問題や住民への情報提供・共有など、伝えたい事、広報誌としての位置づけを理解し、真剣に取り組んでいる姿勢が見えます。 特集の企画や選び方、取材や写真撮影、文章表現、デザインまで一貫して、担当されている皆様の熱意と工夫と、仕事としてこなしているのではない自分が何とかしなくては的な意欲が伝わってきます。 資料によると、外部委託しているものがほとんどなく、内部での制作だからこそできる広報誌のすばらしいサンプルになるのではと思います。 これではプロの仕事がなくってしまいそうです。(笑) 正直、驚かされました。 |