県広報コンクールの開催
予算をかけた委託制作とほぼ手作りの自主制作では、映像や構成に大きな差が出たが、これは仕方ない事かもしれない。 「はままつ百年の交響」は、古い資料映像から空撮までも使った最新の映像までをふんだんに“映像で見せる”作品だった。オープニングのパートから引き込まれ、貴重な映像に、最後まで飽きさせられなかった。制作費に見合うできだと感じた。 一方の、自主制作の作品は、どうしても映像のクォリティーや構成面で負けてしまう部分もあったが、手作り感や熱意は逆に伝わってくる部分もあり、好感が持てた。 それぞれの制作方法で、良い面、悪い面両方見られたが、「自主制作」「委託制作」は、別部門に分けて審査しても良いのかと感じた。 応募5作品は、それぞれ個性の際立った見応えのある作品だった。中でも、浜松市制100周年記念映像詩「はままつ100年の交響」と静岡市の「巨匠の迷宮 芹沢美術館 愉悦への誘い」の2作品は確かな構成力と映像の美しさで群を抜いていた。「はままつ100年の交響」のオープニング映像には思わず見入ってしまったほどだ。 ただ、全体に共通して言えるのは、説明的なナレーションが多いことで、ナレーションが多用されると、どうしてもその場面の映像がフィラーとなるため作品の力が削がれてしまうということだ。ナレーション原稿は推敲を重ね、出来るだけ簡潔に表現することを心掛けたい。センテンスの長さ、間の取り方にも工夫が必要だと思う。 自主制作の3作品はどれも意欲的で挑戦的な作品だったが、特に富士市の「富士つけナポリタン大志館の挑戦」に可能性を感じた。この種のドキュメンタリー取材は映像の撮影に重点が置かれていると思うが、時に映像より重要になるのがSEやインタビューの『音』である。録音された音を編集で活かすことができればそのシーンのライブ感が見る側に伝わり、作品のクオリティは格段にアップすると思う。是非、録音技術のマスターをお願いしたい。 自主制作作品の制作者は当然の事ながら、取材対象となる市民の身近な存在である。それだけに取材対象に選んだ市民への共感と地域への熱い思いは誰にも負けないという自負があると思う。その気持ちを作品にぶつけてくれれば委託制作された作品と充分に闘うことが出来ると感じた。 応募点数は多くはないものの、ひとつひとつの作品に込められた制作者の想いや情熱は確かに伝わってきました。技術力や予算などの制作条件、また表現のスタイルは作品ごとに異なりますが、その多様さ自体が広報を目的とした映像表現の可能性を示唆しているのだと思います。今後さらにユニークな視点や豊かなメッセージに溢れた作品がこの分野を活性化してゆくことを期待します。 |