県広報コンクールの開催
〈審査委員〉 NHK静岡放送局コンテンツセンター チーフ・リード 出雲 守和
静岡放送 報道制作局長 原木 雅雄
静岡デザイン専門学校 講師 望月 伸晃
◇それぞれの作品は、自主制作と委託制作の違いはあるものの、内容も表現手法もさまざまで、多様な映像を楽ませていただきました。 一方、映像コンテンツは見られなければ意味がありません。「可処分時間の奪い合い」が激しくなるメディアの世界では、当然、「何を、誰に伝えるか」、そのために「どのように伝えるか」を強く意識して制作することが必要です。しかし、応募作品は多様である分、こうした意識にもばらつきがあると感じました。 この先、既存メディアはこれまでのようなコンテンツ制作に耐えられる体力を維持できない、という声もあります。さらに、ネット世界における映像コンテンツの爆発的な増加やそれにともなう世の中の視聴意識の変化は、動画の作り方そのものを変えていく可能性があります。実際、今回の応募作品のなかにもその萌芽を感じました。 映像を取り巻く環境の変化は、昨今のユーチューバーの逮捕に見られるように、映像が内包する危うさをさらけ出すこともあります。その一方で、環境の変化は、映像が持つ新しい力を引き出す可能性も秘めているのではないかと考えています。 広報映像もこれまでの作り方に縛られる必要はありません。結局、映像の新しい力を引き出すのも、映像を扱う「人」次第です。置かれた時代や環境のなかで、「何を、誰に伝えるか」「どのように伝えるか」をただひたすら突き詰める愚直な取り組みの積み重ねが、その時代その時代の映像を形作っていくのだと思います。これからの新しい広報映像を楽しみにしています。 ◇地域それぞれの個性が出ている作品ばかりで面白く審査させていただきました。手法も様々で、スピード感溢れたスタイリッシュな作品、ナレーションなしのドキュメンタリー的な作品、手作り感のあるほのぼのとした作品、歴史を巡るヒストリカルな作品など印象に残るものばかりでした。「地域の良さ」を伝えるにはまず作品の作り手が「どれほど地域を愛しているか」が大事になると思います。「ふるさとの良さ」をどんな映像と音で伝えるのか、制作された皆様は悩まれたことと思います。風景・表情・音、どの作品にも見終わったあとに脳裏に残るシーンが必ずあって愛情に溢れていました。メディアは多様化し、様々な発信の仕方が試みられています。でも最終的には「心に残る」ものでなければ伝わらないと思います。「心に残る」ためには「何を伝えたいのか」を突き詰めて明確な「テーマ」を見つけることです。「テーマ」はシンプルがベスト、一言で言えるものが見つかればグッドです。あとは「テーマ」に沿って感動するシーンを見つけるか、自ら作り出して映像化することです。映像の組み立てに迷ったら「テーマ」に帰る。その作業を繰り返すことで「テーマ」が作品を見る人にわかりやすくなります。伝えることは「感動」のリレーです。作り手と受け手が「感動」を共有できる作品が地域から発信されることを期待しています。 ◇全ての作品共通に言えますが、「音」に関する機材、演出、編集技術が低かったように見受けられます。 映像演出には「画」と「音」と「読」の効果が必要になります。 「画」はカメラや編集によって。 「音」はセリフやナレーション、音楽、効果音によって。 「読」は文字スーパーや画像によって。 みなさん、どうしても「音」が忘れがちになり、そこがどうしてもテレビ番組や CM などよりもレベルが低いこととなっております。 もっと音に関して気にかけて制作していただきたい。 それから広報映像とニュース映像との違いもハッキリ意識した方が良いと思います。ニュース映像は客観的視点で撮影、編集するのがセオリーですが、広報映像は伝いたい人が伝えたい事柄を主観的に特定の人に届けようとするものです。したがって祭りや行政、イベントの様子をただ客観的に撮影、編集しても「思い」はリーチしません。例えばカメラが観客の主観目線になるとか、登場人物が次々とカメラ目線でメッセージをリレーさせていくとか、もっともっと伝えたい「思い」を演出してください。 磐田市は唯一タレントを起用した映像で、限りなく主観的演出に迫る作品でしたが、タレント以外の技術的カバーが低すぎます。よくありがちなのはタレントに予算を割きすぎて他に予算を回さずパワーバランスを崩してしまうパターン。タレントを生かすも殺すも衣装、ヘアメイク、撮影部、照明部、制作部等のスタッフ次第。タレント以外にも同等の予算をかけられないなら、こういった企画は避けるべきです。 |