協会結成の趣旨
県では、旧広報文化課のころから、県政広報とともに、県内市町村の広報活動の育成、振興に相当の努力をはらってきた。そのため一時は全市町村の半数以上が広報紙の発行等に着手するところまでいったのだが、その後の地方財政のひっ迫や町村合併における紛糾で、むしろ強化されるべき広報活動への意欲が減退し、各地で、広報予算の削減や広報紙廃刊という憂うべき事態が続出した。このようなことは全国的に見られた状況であり、識者からも、これは民主行政の自殺行為に等しい行為であり、早急にその対応を講ずる必要があるという声が出ていた。
昭和31年、国立国会図書館長、金森徳次郎氏(全国広報研究会会長)から斎藤県知事あてに
「県下自治体の広報活動の振興をはかって行政の近代化を進めるために、広報関係者の奮起と、相互研修を目的とする全国広報研究会静岡県支部を結成したらどうか」の呼びかけがあった。県ではただちに各方面の啓蒙にのりだし、PR機運の醸成をはかることにしたが、この呼びかけに官公署、団体、企業体などの意識層から相当の反応があり、団体、個人を含め賛同者は150に達した。そこで、これらを統括するPRのサービスセンター、静岡県広報協会創立への準備が、関係者により着々と進められていった。