協会結成の趣旨
昭和32年4月2日、県民会館で静岡県広報協会結成記念大会が開催された。懇切な指導をいただいた全国広報研究会長、金森徳次郎、同会常務理事、樋上亮一両氏にも臨席を願った。
県民生活向上のための原動力「新市町村建設運動」「第五次総合開発計画」の2本柱を核として前進する県政の準主役を目ざす一民間団体の力強い、華やかな幕あきであった。
参会者の盛んな激励と祝福のうちに、初代会長には、この日まで全面的なバックアップを惜しまなかった斎藤知事が選ばれた。
結成記念大会と同時に開かれた「PRショー」も人気を集めた。「PRショー」は印刷機器、視聴覚機器と資材類など各分野の近代機械、技術を一堂に集め、大衆普及を狙いとした”博覧会”である。県政概要により、ショー開催までの経緯をみよう。
「(前略)広報協会の発会式を控え、県民会館は文字どおり捨身の企画をたてた(中略)予算はただの一銭もない。しかし絶好のチャンスとあって断行ときまり、全館員を専門部ごとに編成、2月(注・32年)から東京、名古屋、阪神などの一流会社、メーカーを訪問し、広報協会とショーの趣旨を説き回り、出品と寄付を仰いだ。地方庁の役人が、舌先三寸と説明書を唯一のたよりに「5万円、10万円」と多額の寄付を貰い、新鋭機器展示のOKをとりつける苦労は並たいていのことではない。しかし努力のかいあって3月半ばには約70万円の寄付が集まり100コマ近くの展示場は満配、ゼロの出発からここまで漕ぎつけたわけである。
いさみ立った会館は、そのうち約60万円(注・50万円のまちがい)を投げ出し、昼夜兼行、全館あげての飾りつけにかかった。(中略)恒例の「静岡まつり」を当てこんだ企画は図にあたり、押すな押すなの人気を集めた。
4日間の「PRショー」を終えて残った10万円(注・20万円のまちがい)は広報協会の設立基金に寄付することになった(後略)」
もう少し「PRショー」の内容にふれてみよう。
開期は、昭和32年3月30日から4月4日まで、会場は県民会館全展示室。1階が自動車・映画、2階が視聴覚機器、3階が印刷機器、資材などにわけられた。展示したのは、視聴覚部で映画、スライド、音響、録音、有線放送、無線放送、写真、カラー印刷など47社。印刷部では、官公署、団体、企業の刊行物のほか、サークル紙、文芸同人誌まで網羅した。そのほか映画制作会社によるPR映画会、NHK放送カー、厚生省のキッチンカー、など特殊広報カーのほか、一流企業3社から広報車としての性格を立体的に表現できる小型車、中型車を展示した。
「PRショー」の収支については、昭和32年4月25日付文書で「静岡県広報協会結成並びにPRショー収支決算報告書」として、広報協会長あて
収支額 ―金六拾八万弐千円也 |
支出額 ―金四拾八万五千参百参拾八円也 |
差引残額 ―金拾九万六千六百六拾弐円也 |
上記の通り報告いたします |
PRショー実行委員会長 塩谷一夫 |
の文書が残されている。